図1: ニュートリノを約300km飛ばして研究する!
 ニュートリノは、私たちの身の回りを絶えず飛び交っている素粒子です。しかし、物質とはほとんど反応しないため、その性質には今も多くの謎が残されています。 筑波大学素粒子実験グループT2K/HKメンバーは、茨城県東海村のJ-PARCで人工的に作ったニュートリノを、約300km離れた岐阜県飛騨市で観測するT2K実験と、 その次世代実験であるHyper-Kamiokande(ハイパーカミオカンデ)実験に参加しています。 ニュートリノの性質を詳しく調べることによって、現在の素粒子物理学の理論では説明できない新しい物理を探し、 さらに「なぜ宇宙には物質が存在するのか」という宇宙の成り立ちに関わる謎に迫ろうとしています。

謎の多い素粒子「ニュートリノ」

私たちの身の回りの物質は、クォークとレプトンと呼ばれる12種類の素粒子からできています。 ニュートリノはレプトンの仲間で、電子型、ミュー型、タウ型の3種類があります。電気を帯びておらず、物質とは非常に弱くしか反応しないという特徴があります。

ニュートリノの大きな謎のひとつが、その質量です。

かつてニュートリノの質量はゼロだと考えられていました。 しかし1998年のスーパーカミオカンデ実験などによって「ニュートリノ振動」と呼ばれる現象が発見され、ニュートリノが質量を持つことが明らかになりました。

図2: 謎の多い素粒子「ニュートリノ」
一方、その質量は非常に小さく、電子と比べても少なくとも6桁以上軽いことがわかっています。 なぜニュートリノだけが他の素粒子と比べてこれほど軽いのかは、現在の素粒子物理学の「標準模型」では説明できていません。

この不思議な軽さの背後には、まだ私たちが知らない新しい物理法則が隠れている可能性があります。

ニュートリノは飛んでいる間に種類が変わる

例えば、ミュー型ニュートリノとして作られたニュートリノを飛ばすと、その一部が別の種類のニュートリノに変化します。この現象が「ニュートリノ振動」です。これはニュートリノに質量があることで起こる現象で、電子型、ミュー型、タウ型の3種類のニュートリノが、異なる質量をもつ状態の「混ざり合わせ」であることから生じます。変化する割合は、ニュートリノのエネルギーや飛行距離、質量や混ざり方によって決まります。

この現象を測定してニュートリノの謎を解明しているのが、T2K実験とHyper-Kamiokande実験です。

ニュートリノと反ニュートリノは同じように振る舞うのか?

T2K実験は2010年にニュートリノビームを使った測定を開始しました。そして、ミュー型ニュートリノが電子型ニュートリノへ変化する現象を世界で初めて発見しました(詳しい説明)。

この発見によって、さらに重要な問いを実験で調べられるようになりました。

「ニュートリノと反ニュートリノは、同じようにニュートリノ振動を起こすのだろうか?」

ニュートリノにも、他の素粒子と同じように「反粒子」が存在し、反ニュートリノと呼ばれます。 もしニュートリノと反ニュートリノで振動の起こり方が異なっていれば、粒子と反粒子の間で物理法則が異なっていることになります。 この性質を、物理学ではCP(シーピー)対称性の破れと呼びます。

なぜ宇宙には「物質」だけが残ったのか?

CP対称性の破れは、ニュートリノだけの問題ではありません。実は、私たち自身が存在している理由にも関係する、現代物理学の大きな謎につながっています。

宇宙が誕生した時には、粒子と反粒子がほぼ同じ量だけ作られたと考えられています。粒子と反粒子が出会うと対消滅してしまいます。それにもかかわらず、現在の宇宙には星や銀河、地球、そして私たちを作る大量の「物質」が残っています。

なぜ物質だけが残り、反物質はほとんどなくなってしまったのでしょうか?

この謎を説明するために必要な条件のひとつが、粒子と反粒子で物理法則が異なる、すなわちCP対称性が破れていることです。

CP対称性の破れそのものは、1964年にクォークを含む粒子で初めて発見されました。その後、2000年代には、高エネルギー加速器研究機構(茨城県つくば市)のKEKB加速器を用いるBelle実験などによって、クォークにおけるCP対称性の破れが精密に測定されました。

しかし、大きな問題があります。これまでにクォークで見つかっているCP対称性の破れの大きさだけでは、現在の宇宙に物質のみが残っていることを説明できないのです。

そこで、新たなCP対称性の破れの可能性として注目されているのがニュートリノです。もしニュートリノと反ニュートリノの振る舞いが異なることを発見できれば、宇宙から反物質が消え、物質が残った理由を理解するための大きな手がかりになる可能性があります。

T2K実験

T2K(Tokai to Kamioka)実験では、茨城県東海村にある大強度陽子加速器施設J-PARCでニュートリノを人工的に作ります。J-PARCの陽子加速器から取り出した高エネルギーの陽子を標的に衝突させ、そこで生成された粒子から大量のミュー型ニュートリノを作ります。ニュートリノビームは地中を通って約295kmを飛行し、岐阜県飛騨市神岡町にある50,000トンの超純水を使ったスーパーカミオカンデに到達します。ニュートリノは地中の物質とはほとんど反応しないため、295kmの地中をそのまま通り抜けて神岡まで飛んでいきます。

T2K実験では、J-PARCでニュートリノを作った直後の状態を前置ニュートリノ検出器で測定して、295km飛んだ後の状態と比較することによって、ニュートリノ振動を精密に測定しています。

図3: スーパーカミオカンデで捉えた電子型ニュートリノ(左)と電子型反ニュートリノ(右)の事象。ニュートリノが水と反応して生じた電子や陽電子が放つリング状の微弱な光を、タンク内壁の約11,000本の光電子増倍管で観測します。色のついた点は、各光電子増倍管が光を捉えたタイミングを表しています(Credit: T2K International Collaboration)。

2014年からは、ニュートリノだけでなく反ニュートリノビームを使った測定も開始しました。ニュートリノと反ニュートリノで、ミュー型から電子型への変化の仕方が同じなのか、それとも異なっているのかを比較しています。

図4: CP対称性の破れの大きさを角度(位相角)で表した結果。矢印は、今回の観測結果と最もよく一致する位相角を示しています。
2020年には、それまでに取得したデータを解析した結果、ニュートリノにおいてCP対称性が大きく破れている可能性を示す結果を発表しました(図3,図4)。この結果は、素粒子物理学だけでなく、多くのメディアにも報道され、広く注目されました。

しかし、まだCP対称性の破れを「発見した」と結論できるだけのデータ量には達していません。

そこでT2K実験では、より多くのニュートリノを観測するためにJ-PARCニュートリノビームの大強度化を進めるとともに、ニュートリノ反応をより正確に測定するための検出器の高度化を行い、現在も測定を続けています。

Hyper-Kamiokande実験

そしてT2K実験からさらに大きく飛躍し、ニュートリノにおけるCP対称性の破れの発見を目指す次世代実験が、Hyper-Kamiokande(HK)実験です。

図5: ハイパーカミオカンデの概念図
Hyper-Kamiokandeは、スーパーカミオカンデと同じ水チェレンコフ検出器ですが、その有効体積はスーパーカミオカンデの約8倍にもなります(図5)。HKでは、この巨大な検出器を用いて、ニュートリノ振動の測定だけでなく、超新星爆発ニュートリノの観測や陽子崩壊の探索など、幅広い素粒子・宇宙物理の研究を行います。

超大型水チェレンコフ検出器の建設に加えて、J-PARCではニュートリノビームの大強度化も進めています。巨大なHK検出器と大強度のJ-PARCニュートリノビームを組み合わせることによって、観測できるニュートリノの数は飛躍的に増加します。現在のT2K実験では、J-PARCからビームを出している日にスーパーカミオカンデで観測されるニュートリノ反応は1日あたり10個程度です。HK実験では、ビーム強度の増強と巨大な検出器を組み合わせることによって、1日100個を超えるニュートリノ反応を観測できるようになります。これによって、ニュートリノと反ニュートリノの振動の違いを、これまでとは比較にならない精度で調べることができます。

HKは2028年の観測開始を予定しています。もしニュートリノにおけるCP対称性の破れが最大に近い大きさであれば、実験開始から最初の数年間でCP対称性の破れを発見できる可能性があります。

精密測定の鍵を握る新しい検出器 IWCD

HKによって観測できるニュートリノの数が増えると、研究の難しさも変わってきます。観測するニュートリノの数が少ないときには、「もっとたくさんのニュートリノを集める」ことが測定精度を高めるために最も重要です。しかし、たくさんのニュートリノを測定できるようになると、今度はニュートリノと物質との反応をどれだけ正確に理解できているかが測定精度を左右します。

図6: IWCD検出器の概念図 (こちらより)。

特にニュートリノが水の中の原子核とどのように反応するのかを精密に理解することが重要になります。

そのためにHKでは、J-PARCから約1kmの場所に、新しい前置検出器 IWCD(Intermediate Water Cherenkov Detector)を建設します。IWCDでは、HKと同じ「水」を標的としてニュートリノ反応を詳しく測定します。また、検出器の位置を上下に移動させることによって、異なるエネルギー分布を持ったニュートリノを測定できるという大きな特徴があります。 これによってニュートリノと水の反応を精密に理解し、HKでのニュートリノ振動測定の誤差を小さくします。

筑波大学での研究 ~大強度ニュートリノビームと新しい検出器をつくる~

HKでニュートリノのCP対称性の破れを発見するためには、巨大なHK検出器だけでなく、大量のニュートリノを安定して作ることと、ニュートリノの性質を正確に測ることの両方が必要です。

筑波大学素粒子実験グループでは、現在、主に2つの課題に取り組んでいます (2026年9月時点)。

1つは、J-PARCニュートリノビームの大強度化です。HKに大量のニュートリノを送り続けるため、J-PARCでは世界最高となる1.3MW(メガワット)の強度を目指してニュートリノビームの増強を進めています。筑波大学では、非常に強い陽子ビームを安全かつ安定に標的へ照射するための新しいビームモニターやエレクトロニクスの開発、ビームラインの運転・性能向上に取り組んでいます(図7)。

もう1つは、新しい前置検出器IWCDの開発です。HKでの精密測定に必要となるニュートリノ反応をより正確に理解するため、検出器や読み出し・トリガーシステムの開発、そして将来の実データを用いたニュートリノ反応の研究を進めています(図8)。

そして、これらの装置を自ら開発・運転するだけでなく、そこで得られたデータを解析し、最終的にはニュートリノ振動を精密に測定することも私たちの研究です。

ニュートリノと反ニュートリノは本当に異なる振る舞いをするのか。

T2KからHKへと続く研究を通じて、この問いに実験で答え、素粒子の標準模型を超える新しい物理、そして物質からなる宇宙の起源に迫ることを目指しています。

図7: J-PARCニュートリノビームラインの様子 図8: IWCD検出器の模式図と新型光センサー (こちらより)。

関連リンク